月給25万円、賞与は年6万円。私が定年後の仕事を続けなかった理由

文:いずみ

「定年後も残ってほしい」

会社からそう言われました。長く働いてきた職場で必要とされることは、ありがたいことだったと思います。

それでも私は、定年後の勤務を引き継ぎのための4か月で区切り、2025年3月に会社を辞めました。

定年を迎えたのは、2024年11月です。その後の月給は、額面で25万円。ボーナスは半年に3万円、年間で6万円という条件でした。年収は、定年前の半分以下になります。

定年後の月給25万円は、手取りではありません。そこから保険料や税金などが引かれます。

給与が下がる一方で、すぐに仕事や責任が軽くなるわけではありませんでした。その条件で、この先も働き続けたいと思えるか。私には、それが大きな問いでした。

もちろん、辞めたあとの暮らしが心配でなかったわけではありません。今回は、私が迷いながら退職を決めた理由と、その後の暮らしについて書きます。

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「しばらくは今のまま働いてほしい」に疑問を持ちました

長年、営業としてお客様との関係を積み重ねてきました。取引先と共同で商品を作り、販売する仕事にも携わっていました。

やりがいはありましたが、その分、「失敗してはいけない」という重さもありました。仕事が終わっても、休日でも、頭のどこかに仕事のことが残っていました。

会社からは、「仕事は徐々に減らすつもりでいるが、しばらくは今のまま働いてほしい」と言われました。

私は、その言葉に疑問を持ちました。

58歳で役職定年になったころから、「あと2年で定年になるので、それまでにきちんと引き継ぎをしたい。後任を準備してほしい」と、何度も上司に話してきたからです。

私がいた会社では、定年退職の半年前に再雇用についての話があります。その時点で、私の部署はぎりぎりの人数で仕事をしていました。

ここで私が辞めたら、会社というより、一緒に働いている部署のメンバーに大きな負担がかかる。それは想像できました。

それでも私は、定年退職を選びました。

「この条件で、同じ責任を背負い続けていけるだろうか」

必要としてもらえることはうれしくても、その期待に応え続ける自信は、もう持てませんでした。

「いい人」のままでいるのをやめようと思いました

辞めるか、残るか。直属の部長とは、何度も話し合いました。

けれど、彼は「辞めないでほしい」と繰り返すだけでした。私の希望や気持ちを会社に伝え、会社と私の間にある隔たりを少しでも縮めようとはしませんでした。

その対応を見て、私は、自分の気持ちを押し殺し、これまでどおりの「いい人」でいるのはやめようと思いました。

今さら「もしも」を考えても仕方がありません。それでも、彼が少しでも改善策はないかと動いてくれていたら、私の選択は変わっていたかもしれません。

私は本当に仕事が好きで、やりがいを感じていました。だからこそ、最後まで迷っていたのです。

賞与の金額に、働く励みを見失いました

同じ職場の派遣社員には、本人への給与として月額約31万円が提示されていることも知っていました。

雇用形態や契約条件が異なるので、月給だけで待遇全体を比べることはできません。それでも当時の私は、自分に求められる仕事と、提示された金額の釣り合いを考えずにはいられませんでした。

さらに気持ちに響いたのが、半年に一度のボーナスが一律3万円ということです。

私にとってボーナスは、生活を支えるお金であると同時に、仕事を見てもらえていると感じるものでもありました。頑張ったことが評価につながる。その手応えが、働く励みになっていたのだと思います。

これからは、一律3万円。

その説明を聞いたとき、「この先、何を励みにして働き続ければいいのだろう」と感じました。

会社が必要としてくれていることと、私が納得して働けること。その間に、大きな隔たりがあるように思えたのです。

還暦を、人生の大きな区切りにしたいと思いました

定年は、会社にとっての区切りです。私にとっても、人生の大きな区切りでした。

私の場合、定年は還暦と重なりました。

私は、古くからある風習や歴史のある行事が好きです。還暦という言葉には、ここまで無事に生きてこられたことへの感謝と、もう一度生まれ直すような響きを感じていました。

60年を生きてきた重みがある一方で、ここで大好きな仕事にも一区切りをつけ、背負ってきたものをいったん下ろして、身軽になってみたい。そんな気持ちが強くなりました。

定年後の働き方については、会社や周囲の事情よりも、今度は自分の気持ちを優先しようと思ったのです。

辞める前に、就業規則を隅々まで何度も読みました

定年退職を真剣に考えるようになって、私は会社の就業規則を隅々まで、何度も読みました。

それまでは、めったに見ることのなかったものです。長く勤めていても、自分の働き方に関わる決まりを、一つひとつ確かめるように読むことは、あまりありませんでした。

辞めるか、残るかを考えるときになって、改めて自分に関わることとして、確認しながら読みました。

すでに再雇用で働いている元上司にも、聞ける範囲で話を聞いてみました。

ただ、こういう話は聞きづらいものです。相手にも事情がありますし、どこまで聞いてよいのか迷います。聞けるところまで聞いて、自分の判断の参考にしました。

気持ちが揺れる中でも、会社の決まりを読み、実際に働いている人の話を聞くことは、退職前に私がした準備の一つでした。

辞めると決めるまで、お金のことは何度も考えました

退職を決めるまで、気持ちは揺れました。

いちばん怖かったのは、やはりお金のことです。毎月入っていた給与がなくなり、貯金を使って暮らすことになる。通帳の数字が減っていく生活を想像すると、不安になりました。

生活費に加えて、健康保険や税金などの支払いもあります。旅行や好きなことまで、すべて諦めたいわけではありませんでした。

「せっかく残れるのに、もったいない」

そう言われることもありました。新しい職場で仕事を覚え、人間関係を一から作る大変さを考えると、その言葉も分かります。

私自身も、「今の会社にいた方が安心なのではないか」「辞めたいという気持ちは、わがままなのではないか」と何度も考えました。

退職後の生活費や貯金について、紙に書き出して考えることもしました。それでも、将来のお金の不安がすべてなくなったわけではありません。

その不安を抱えたうえで、自分がこれからどう過ごしたいのかを考えました。

私が取り戻したかったのは、仕事から離れられる時間でした

私は、気持ちの切り替えがあまり得意ではありません。

仕事を終えて帰宅しても、テレビを見ていても、いつの間にか仕事と結びつけて考えてしまう。休みの日も、どこか気が休まりませんでした。

長く同じ会社にいると、「この人ならできる」「頼りになる」という役割ができてきます。そう思ってもらえることはありがたくて、自分でも期待に応えようとしてきました。

でも、これからも同じように頑張り続けたいかと考えると、答えは出ませんでした。

元気に動けるうちに、行きたい場所へ行ってみたい。母と過ごす時間も持ちたい。会社の役割から離れて、自分が何をしたいのか考えてみたい。

こうした気持ちは、定年になって急に生まれたものではありません。50歳になったころから、自分の時間には限りがあると強く感じるようになっていました。

40年ほど会社員として過ごす中で、守られている安心感と、いつも何かに縛られているような感覚の両方がありました。私は、その「かごの中から出たい」と思っていたのです。

残りの人生をどう生きたいのか。お金も大切でしたが、私には、自分の時間の方がもっと大切に思えるようになっていました。

残ることの安心感も分かっていました。それでも私は、引き継ぎを終えたところで、会社を離れることを選びました。

退職後は、別の働き方も探しています

会社を辞めてからは、失業給付を受け、貯金も使いながら暮らしてきました。

仕事をすること自体を、やめようと思ったわけではありません。これまでとは違う働き方を探したいという気持ちがありました。

2025年10月から2026年2月にかけては、ハローワークを通じた職業訓練で、週5日、Webクリエーターの勉強をしていました。

そのころは、「自分に合う会社に出会えたら、もう一度正社員として働くかもしれない」とも考えていました。

年金の繰上げ受給についても、減額されることが気になり、すぐには決められませんでした。実際に手続きをしたのは2026年2月で、初めての振込みは4月でした。

退職を決めた時点で、その後の収入や働き方がすべて決まっていたわけではありません。辞めたあとも、学びながら、迷いながら考えてきました。

年金の繰上げを選ぶまでの経緯は、別の記事で改めて書きたいと思っています。

母と庭を眺める時間が、今は大切です

退職してから、季節の変化に目が向くようになりました。

昨日まで固かった蕾がほころんでいる。木々の緑が少しずつ深くなっている。庭を眺めて、そんな変化に気づける時間ができました。

同居する母と並んで料理をしたり、花を眺めたりすることも増えました。

特別なことをしているわけではありません。でも、会社員のころには後回しにしていた時間です。

お天気のよい日に美術館へ行ったり、食べてみたかったパフェを楽しんだり。自分のために予定を決められることも、うれしく感じます。

これからのお金の不安が消えたわけではありません。新しい働き方を探して、思うようにいかないこともあります。

それでも、仕事のことから離れて過ごせる時間や、母と笑い合える時間を持てたことを、私は大切に思っています。

再雇用を迷っている方へ

今は、働き方も、働くことへの考え方も、年々変わっています。

私がいた会社でも、コロナ禍以降は毎年のように制度や規則が変わりました。副業や在宅ワークを認める会社も増え、以前よりさまざまな働き方を選べるようになっています。

正直に言えば、いろいろな働き方を選べる今の人たちを、うらやましいと思うこともあります。

でも、最後に選ぶのは自分です。自分で選べるようになったことは、喜んでよいことだと思います。

同時に、自分で選ぶのは怖いことでもあります。

何十年も会社という「かご」の中にいて、疑問を持ちながらも守られてきました。かごの中にいれば、ある程度は安全でした。

再雇用を選ぶ道と、会社を離れる道。その二つを同時に歩くことはできません。今歩いている道が本当に正しかったのか、もう一方の道と比べて確かめることもできません。

だから、誰にとっても同じ正解があるわけではないのだと思います。

私は会社を離れることを選びました。母と庭を眺めたり、新しいことを学んだりできる今の暮らしを思うと、あのとき自分の気持ちを優先してよかったと感じています。

迷いながらでも、一歩を選ぶ

最後に、迷ったときの私に元気をくれる言葉を書いておきます。

「迷わず行けよ、行けばわかるさ。」

アントニオ猪木さんが語った言葉として広く知られています。一休宗純の言葉と紹介されることもありますが、福井県立図書館の調査では、その根拠となる資料は確認できず、清沢哲夫の詩「道」をもとにした可能性が高いとされています(レファレンス協同データベース)。

誰の言葉として受け取るかよりも、私には「進んでみなければ分からない」という意味が残ります。

怖さがなくなってからではなく、迷いながらでも自分で選んだ道へ一歩を踏み出す。その一歩を、これからも大切にしたいと思っています。

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