文:いずみ
50歳になったとき、私はとても寂しくなりました。
「今まで生きてきたのと同じだけの時間を、これから生きることはできないのかもしれない」
そんな思いが浮かんだのです。
自分の命に限りがあることは、それまでも分かっていたはずでした。でも、50歳という年齢になって、それが急に自分のこととして迫ってきました。
寂しさと、焦りのような気持ち。その両方がありました。
今振り返ると、50代の私は、年齢をとても強く意識して過ごしていたと思います。
いちばん多くの時間を使っているのは、仕事でした
自分の時間を何に使っているのかと考えたとき、いちばん大きかったのは仕事でした。
長く会社員として働いてきました。毎日の生活の中で、仕事が占める時間はとても大きく、仕事を離れていても、頭の中には仕事のことが残っていました。
これからも、同じように時間を使っていくのだろうか。
「限りある私の時間。このままでいい?」
転職を意識し、真剣に考え始めたのも、このころです。
ほかにやってみたいことはないのか。見てみたいものや、行ってみたい場所はないのか。私は何をして生きていきたいのか。
そんな問いが、何度も浮かぶようになりました。
「このままでいい」と「外へ出たい」の間を行ったり来たり
何かを変えたいと思う一方で、今の暮らしを変えなくてもよいと思う自分もいました。
「今のままで、十分幸せじゃない。このままでいいよ」
そういう声が、自分の中にありました。
慣れた会社で働き、暮らしていけることには安心感があります。それを手放して、新しい場所へ行くことを考えると、不安になります。
それでも、また「このままでいいの?」と考える。
毎日、二人の自分が心の中で話し合っているようでした。変わりたいと思ったり、今のままでよいと思ったり。その間を、何度も行ったり来たりしていました。
すぐに答えが出る問いではありませんでした。
安心できるかごの中から、出てみたかった
40年ほど会社員として過ごしてきて、いつも何かに縛られているような感覚がありました。
働く時間や、果たすべき役割。周りから期待される自分。その中で長く働いていると、自分でも、その役割に合わせて頑張るようになります。
そこには安心もありました。慣れた場所にいて、自分の役割が分かっている。その安心感は、私にとって大きなものでした。
でも、安心しているはずなのに、「うーん、このままでいいのかな」と思う。
その気持ちを言葉にするなら、「かごの中から出たかった」なのだと思います。
かごの中で守られていることは分かっていました。それでも、外には何があるのか、自分で見てみたかったのです。
残りの時間に、何をしたいのか
「あと何年、生きられるのだろう」
そんなことを考えるのは不謹慎かもしれない、と感じることもありました。それでも私は、その問いを自分に繰り返していました。
それまでに、やりたいことはないのか。
元気で動けるうちに、見ておきたいものはないのか。
今の暮らしを続けることと、何かを変えること。どちらを考えても迷いましたが、自分の時間に限りがあるという実感は、年を重ねるほど強くなっていきました。
お金は大切です。生活していくために必要ですし、安心にもつながります。
そのことを分かったうえで、私には、時間の方がもっと大切に思えるようになっていました。
自分に残された時間を、どう使いたいのか。50代の私は、転職のことも含めて、ずっと「自分のやりたいことは何?」と問いかけていました。
すぐに動けなくても、問いは残っていました
私は、50歳になったときにすべてを決めて、すぐに会社を辞めたわけではありません。
変わりたい気持ちと、今のままでよいと思う気持ちを抱えながら、会社員として働き続けました。
そして、定年という節目を迎え、引き継ぎのための勤務を終えた2025年3月に退職しました。
定年後の給与や仕事の責任も、その判断に関わっています。けれど振り返ると、50代から自分に問い続けてきたことも、そこにつながっていたのだと思います。
「残りの人生を、どう生きたい?」
今のままでも幸せだと思える自分と、外へ出てみたい自分。どちらの気持ちも、私の中にありました。
すぐには答えを出せませんでしたが、私は自分に聞くことをやめませんでした。
あのころの寂しさや焦りも、私が自分の時間を考え始めた、大切な気持ちだったのだと思います。